西洋医療と代替医療どっちがいいの?


前回まで
「絶対的に正義」
「絶対的に悪」
ではなく、

「別視点の見方」を持つことの重要性についてお話ししました。
 
 
今回は、「病気」を例に挙げて、更に突っ込んだ話をします。
 
 
 
 
 
とある人が、癌センターでガンの告知を受けたそうです。

言われた時は頭が真っ白になったそうです。
その中で、

『どうして自分がガンになったのか?』
『どうしてそこに できたのか?』

と疑問を抱きましたが、
それに対しての説明をきちんとできない医師に自分の命を託す事ができなかったそうです。

そこで、西洋医学の検査を途中で止め、代替医療の道を選択しました。
 
しかし、そのことによって、自分では想像もしていなかった苦しみがあったそうです。
 
 
西洋医学を選択する事が当たり前な日本で、代替医療の道を選択した自分の考えは理解されませんでした。

特に親やパートナーの理解を得られなかったのは、非常に苦しかったそうです。

『一体私の命は誰のもの?』
というところまで、考えたそうです。
 
 
 
西洋医療と代替医療という対立構造がある中では
ガンの克服は難しいと思います。
 
 
その人自身の意志は、
代替医療のみでの治療を望んでいたのですが、
周りの家族や、担当医との対話を重ねて、お互いに譲歩しながら、

「ガンを克服する」

という共通のゴールに向けて、
対立するのではなく、
お互いに歩み寄って、バランスをとって治療を進めることで、

お医者さんからも「奇跡だ」という言葉を
もらうくらいの回復を遂げました。

最終的には、ガンを克服したそうです。
 
 
 
西洋医療の抗がん剤、化学療法、外科処置で命を救われる人もたくさんいますし、

代替医療がうまく機能する人もいます。
 
 
反対に、

西洋医療で悪くなる人もいれば、

代替医療をゴリ押ししようとして病状が悪化する人もいるのが事実です。
 
 
西洋医療的な物理からのアプローチも大事だし、
東洋医学の情報空間の方からのアプローチも効きます。

しかし、それ以上に、食事や習慣を変えたり、
周りの人たちとの人間関係を改善することの方が、より大きな効果を発揮します。
 
 
このように、
「何が正しい」

という、絶対的なものはなく、

何が正しいのかは、
その人のその時の状況、関係性によって変わっていきます。
 
 
では、どうすればいいのか?
 
 
それは、自分と相手を含んだ
「関係性」
に着目すればいいのです。
 
 
以前に述べた夫と妻の問題においては、
「夫婦」という「関係性」に着目すればいいのです。
 
「夫」と「妻」ではなく、
「夫婦」という「1つ上の視点」で物事を考える、
ということです。
 
 
その上で、
『この関係性をより良くするためには、何ができるだろう?』

『そのために自分が果たすべき役割は何だろう?』

と考えてみてください。

そうすれば、
「相手が受け容れやすい形で、自分の伝えたいことを伝える」

という方法が見つかるかもしれません。
 
 
 
何か一つの「正しい道」があるという認識ではなく、
「俯瞰して全体のバランスをとる」

というアプローチが、一番効果的です。
 
 
大切なのは、
「正しい道」というのは、結果的にわかる、ということです。

「正しい道」だと思う道を進むために、
何かを犠牲にする必要があるなら、
それは「正しい道」ではありません。
 
 
頭痛を治すにしても、
健康にしても
人間関係にしても

「抽象度を上げる」ということが、
あらゆる「問題解決」に役立ちます。
 
 
 
普段から、思考実験、イメージトレーニングをしておくと、
この「抽象度を上げる」ことはできるようになってきますので、おススメします。
posted by かみん at 00:00 | Comment(0) | 治す〜最も大事なこと〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大事なことは「見守る」


前回、
「絶対的に正義」
「絶対的に悪」
ではなく、
「別視点の見方」を持つ

という話をしました、
 
 
 
今回は、もう少し突っ込んだ話をします。
 
 
 
「別視点の見方」としていくつか例を挙げましたが、

それでも
「別視点の見方」

つまり
「例外」
というものを考えられないという場合があると思います。
 
 
 
それは、言ってしまえば、
「心の頑(かたく)なさ」の顕れです。

そこには、
「例外は許せない」
という凝り固まった思考があります。
 
 
 
しかし、自分の「例外」に当てはまる人がいる、
ということを知るだけで、その
「心の頑(かたく)なさ」
というものを氷解することができます。
 
 
「例外」を見渡せない高さにいたのが、
1つ上に移動してみると、
「例外」の中にあるものまで見渡せるようになるのです。
 
 
 
世の中を見ていけば、
絶対的だと思っていたものは数え切れないと思います。

例えば、、
平和こそ絶対的、戦争や差別はいけない
と信じていても、

見方を変えると、

戦争は「侵略から自国を守るための自衛」
差別は「住み分けのための区別」

という見方もできるわけです。
 
 
「必要悪」という言葉もあるように
どうしても必要だという見方もあるのです。
 
 
会社組織、という例を考えてみてれば、わかりやすいかもしれませんね。

ただの平社員だった頃は、
上司に対して愚痴を言っていたのが、

いざ自分が上司になったときに、

その上司の苦労がわかる、

と言った感じです。
 
 
 
 
 
また、
世の中には、普通の常識で考えたら信じられないような
「許し」
を持つことができる人もいるのです。
 
 
普通に考えたら、
「これは絶対に許せない」
と思うことを許せる人も世の中にはいるわけです。

例えば、この動画。
https://www.youtube.com/watch?v=_d6I_hpoc0I

この動画は、自分の娘を殺した殺人犯を許す母親についての内容です。
 
 
 
そうそう、

僕の場合ですが、割と最近、
900万円相当の資産を盗まれたこともありましたっけ(笑)
 
 
では何故、「許せる」のでしょう?
 
 
それは、「聖人君子だから」ではありません。
 
それは、相手を許すことによって、
「自分が楽になる」
ということを知っているからです。

抽象度が上がり、俯瞰した視点を持つことの「メリット」を知っているわけです。

逆を言えば、
「相手を許さないこと」
が大きな「デメリット」であることも知っているからです。
 
 
 
この「抽象度を上げる」
という行為ができるようになれば、

対立しているように見える概念をまとめて新しい一つのものを生み出す、
ということができるようになります。

思考の抽象度を上げていけば、
凝り固まった思考もなくなり、
「融和」することができます。
 
 
非難したくなるような行動をとっている人や
自分にとってネガティブに感じる行動をとっている人

等に対して、相手の気持ちや背景が「観える」と、、
自分の中での「解釈」は変わっていきます。
それに対する「感情」も全く別のものになります。
 
 
 
人間の脳の仕組み上、
事象や現象そのものを、「あるがまま」には認識することができない
ということをあなたは知っていますか?
 
 
これは、RAS(脳幹網様体賦活系)というものの働きで、
その人の過去の経験により、
事象や現象の「解釈」は変わります。


そして、その「解釈」はその後の経験により変えていくこともできます。

そうやって抽象度が上がれば、
全てのものと「融和」できます。
 
 
 
しかし、ここで気をつける必要があります。
それは、
「他人を変えることは難しい」
ということです。

自分の意見を持ちすぎては軋轢(あつれき)が生まれる可能性があります。

身近な人が絶対性に囚われているとして、

その人に対して、

『絶対なんてない』

というのは相手を否定することになります。

「融和」にはなっていません。
 
 
そこであなたができることは、

「見守る」ことです。
 
 
「見守る」
というのは、

相手の信念と自分の信念が違っていることを認めつつも、

相手がその信念を持つことを「許す」

ということです。
 
 
実際のところ、
自分なりの正解(=信念)を持たないと、
人は生きていくことはできません。
 
 
自分の主観で考えれば、
「自分が正解、相手は間違い」
だと「思う」こと自体は良いわけです。

しかし同時に、そこで相手に寄り添って、

相手自身も同じである、
ということも理解する必要があります。

つまりは、
「相手が正解、自分が間違い」
だということです。

 
 
「自分」対「相手」という視点にいると、

常に「対立」とかぶつかる可能性があります。
 
もしくは、「奪い合う」ということにもなりかねません。
 
自分が相手を負かす、
という「勝ち負け」に囚われてしまいます
 
 
 
 
 
 
 
このように
「絶対的に正義」
「絶対的に悪」
ではない、「別視点の見方」を持つためには、

まずは「例外を知る」必要があります。
 
 
しかし、あなたが「別視点の見方」を持ったとしても
相手は必ずしもそうではありません。

逆に「あなたは間違っている」として、
相手を否定してしまう可能性があります。
 
 
そこで、あくまで
「他人を変えることは難しい」
と言う前提の上で
 
相手の信念と自分の信念が違っていることを認めつつも、
相手がその信念を持つことを「許す」

つまり、
「見守る」
ということをしてくことが大切になります。
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頭痛を治すためには「何」がいいのか?

【俯瞰1】
僕は情報発信として、

「◯◯をやれば健康にいいです」

「水はここのメーカーのがいいです」

のような「答え」を与えるような話は

あまりしないことにしています。
 
 
実際の話、
そういう話をガンガンした方が、
わかりやすいし、訴求力が高まるのはわかっていますが、

僕自身は、そういうことをなるべく言いたくないのです。

なぜなら、

それは僕があなたに伝えたいことではないからです。
 
 
 
そして、

どうしてもそれらの物言いは全て

「嘘」になる可能性があるからです。
 
 
 
健康・頭痛を治すために「何」がいいのか?
 
 ということは、

その人の状況・取り巻く環境によって変わるのため

唯一絶対の「正解」はありえません。
 
 
 
「絶対はない」ということです。
 
 
 
その人の体質や習慣、思考や感情、
また時間帯によっても変わります。

これは、別に健康・頭痛を治すことに関わらず、全てのことに言えます。

だからこそ僕は、あなたには、

抽象度が高く俯瞰した視点を持ち、

巷(ちまた)にあふれる情報の選別をすることができて

その上で、

自分で良いと思えるもの、

確信を持てるものを

「自分の意志」で選ぶことができる力をつけてもらうこと

それを第一に考えています。
 
 
 
そこで、あなたには、

一つのワークをやっていただきたいと思います。
 
 
 
あなたには、

「これは絶対的に善(正義)だ」
「これは絶対的に悪だ」

と考えているものがあると思います。
 
 
そこで、あなたが

「これは絶対的に善(正義)だ」
「これは絶対的に悪だ」
 
と考えていることを一つ出してみて下さい。
 
そして、それに対して、

「でも、こういう"例外"もある」

という「別視点の見方」を出してみてください。
 
 
 
 
 
この質問は、かなり難しいかったかもしれません。

有名な「7つの習慣」という自己啓発書にも、

答えとなるような例が出ています。


電車内で騒いでいる子どもを、
叱ることもせず放置している父親

についての話です。
 
 
読んでいない方のために、

この話において、
なぜ父親が電車内で騒いでいる子供を放置していたのか、

というと、

ちょっと前まで、父親の妻、つまり子供たちの母親が亡くなった直後の出来事で、

父親も子供たちもひどく動転して取り乱している

という理由からでした。
 
 
 
他にもうまく「例外」を考え出して、

別視点の見方を持った例をご紹介します。
 
 
 
 
 
 
人に親切にする=絶対的に善(正義)
自分勝手な行動=絶対的に悪

という概念に沿って行動しているとします。

そこで、
「別視点の見方」を持つと、以下のようになります。
 
 
人に親切にするということは、

『自分がこうやったら喜ぶのだろうな』

と自分の中で考えて行動しているので

もしかしたら「親切の押し売り」をしている、という可能性もあるわけです。
 
 
「良かれ」と思ってやっていることも、
もしかしたら
「親切の押し売り」かもしれません。
 
 
 
この視点の変化に注目してください。
 
 
一つ目線が上がっていませんか?
 
 
これは、「抽象度」が上がる、という言い方も出来ます。
 
 
自分の周りにしか観えてなかったのが、

相手の心や感じ方まで見渡そうとしたことで、視点が上がってるのです。
 
 
 
 
 
では、また別の例を出します。

友人たちと車で旅行中、目的地に向かって高速道路を車で走っている時、

猛スピードで、後ろから突進して、
隣車線からいきなり前に入ってくる車がありました。

当然、瞬間、ヒヤっとします。

あなたは、
『危ないなー。こんな危険な運転するなんて…』
と思ったとします。
 
 
しかし…数時間後…

運転手である普段穏やかな友人が急にトイレに行きたくなり、
だんだん冷や汗になっていることに気がつきます。

そして、運転も安全運転から一気に猛スピードで
ドンドン車を追い越しながら走っていました。
傍(はた)からみたら明らかに悪い運転です。
 
 
そして、次の日の帰り道。

同じく高速道路で、また
隣車線からいきなり前に入る車がいました。

しかし、友人の運転手がトイレに行きたいがために猛スピードになった経験があるあなたは、
『きっとトイレに行きたいのかもしれないね』

と暖かく見守ることが出来るわけです。
 
 
 
良い運転と悪い運転。

他人に被害をもたらす行為はもちろん危ないですが、

同じ現象でも、「受け止め方」というのは

それぞれの視点で
全くものになっているわけです。
 
 
 
 
 
また、これは人間関係でも同様です。。

大事な人に、何を考えてその行動に出ているのかを説明せず、誤解を招いたままにしておく、
という経験はありませんか?

これは、壮年の夫婦、特に夫によくあることだと思います。

例えば、夫がいつも帰りが遅く、なぜ帰りが遅いのかを説明しなかったり…
 
 
これは、妻を不安にさせる行為なので、
「良い」とは言えないものだと思います。
 
 
しかし、
「別視点の見方」を持つと、

夫にとっては、
仕事でトラブルがあり大変な時だが、
妻には心配かけさせたくないから、
何も説明していなかったのかもしれません。

相手のことを思いやった上で、強い意志の上でやったことなのです。
 
 
 
 
 
このように、
「絶対的に正義」
「絶対的に悪」
と思っていたとしても、

「別視点の見方」を持つと、
必ずしもそうではないことに気が付きます
 
 
そして、より大きな視点に立つと、
どちらかが譲歩してもそれは「負け」にはなりません。

「勝ち負け」という概念は消えます。

同時に
「良い悪い」という概念も消えます。
 
 
 
このような考え方を持つことが出来れば、
頭痛を治すというにおいても

「何」が「良い」「悪い」のか?

という発想もなくなるわけです。
 
 
マスコミや世間の情報に振り回される
ということもなくなります。
 
 
慣れないと、難しいですが、
是非、こういう考え方にもチャレンジしてはいかがでしょうか?
posted by かみん at 00:00 | Comment(0) | 治す〜最も大事なこと〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする