頭痛を治すためには「何」がいいのか?

【俯瞰1】
僕は情報発信として、

「◯◯をやれば健康にいいです」

「水はここのメーカーのがいいです」

のような「答え」を与えるような話は

あまりしないことにしています。
 
 
実際の話、
そういう話をガンガンした方が、
わかりやすいし、訴求力が高まるのはわかっていますが、

僕自身は、そういうことをなるべく言いたくないのです。

なぜなら、

それは僕があなたに伝えたいことではないからです。
 
 
 
そして、

どうしてもそれらの物言いは全て

「嘘」になる可能性があるからです。
 
 
 
健康・頭痛を治すために「何」がいいのか?
 
 ということは、

その人の状況・取り巻く環境によって変わるのため

唯一絶対の「正解」はありえません。
 
 
 
「絶対はない」ということです。
 
 
 
その人の体質や習慣、思考や感情、
また時間帯によっても変わります。

これは、別に健康・頭痛を治すことに関わらず、全てのことに言えます。

だからこそ僕は、あなたには、

抽象度が高く俯瞰した視点を持ち、

巷(ちまた)にあふれる情報の選別をすることができて

その上で、

自分で良いと思えるもの、

確信を持てるものを

「自分の意志」で選ぶことができる力をつけてもらうこと

それを第一に考えています。
 
 
 
そこで、あなたには、

一つのワークをやっていただきたいと思います。
 
 
 
あなたには、

「これは絶対的に善(正義)だ」
「これは絶対的に悪だ」

と考えているものがあると思います。
 
 
そこで、あなたが

「これは絶対的に善(正義)だ」
「これは絶対的に悪だ」
 
と考えていることを一つ出してみて下さい。
 
そして、それに対して、

「でも、こういう"例外"もある」

という「別視点の見方」を出してみてください。
 
 
 
 
 
この質問は、かなり難しいかったかもしれません。

有名な「7つの習慣」という自己啓発書にも、

答えとなるような例が出ています。


電車内で騒いでいる子どもを、
叱ることもせず放置している父親

についての話です。
 
 
読んでいない方のために、

この話において、
なぜ父親が電車内で騒いでいる子供を放置していたのか、

というと、

ちょっと前まで、父親の妻、つまり子供たちの母親が亡くなった直後の出来事で、

父親も子供たちもひどく動転して取り乱している

という理由からでした。
 
 
 
他にもうまく「例外」を考え出して、

別視点の見方を持った例をご紹介します。
 
 
 
 
 
 
人に親切にする=絶対的に善(正義)
自分勝手な行動=絶対的に悪

という概念に沿って行動しているとします。

そこで、
「別視点の見方」を持つと、以下のようになります。
 
 
人に親切にするということは、

『自分がこうやったら喜ぶのだろうな』

と自分の中で考えて行動しているので

もしかしたら「親切の押し売り」をしている、という可能性もあるわけです。
 
 
「良かれ」と思ってやっていることも、
もしかしたら
「親切の押し売り」かもしれません。
 
 
 
この視点の変化に注目してください。
 
 
一つ目線が上がっていませんか?
 
 
これは、「抽象度」が上がる、という言い方も出来ます。
 
 
自分の周りにしか観えてなかったのが、

相手の心や感じ方まで見渡そうとしたことで、視点が上がってるのです。
 
 
 
 
 
では、また別の例を出します。

友人たちと車で旅行中、目的地に向かって高速道路を車で走っている時、

猛スピードで、後ろから突進して、
隣車線からいきなり前に入ってくる車がありました。

当然、瞬間、ヒヤっとします。

あなたは、
『危ないなー。こんな危険な運転するなんて…』
と思ったとします。
 
 
しかし…数時間後…

運転手である普段穏やかな友人が急にトイレに行きたくなり、
だんだん冷や汗になっていることに気がつきます。

そして、運転も安全運転から一気に猛スピードで
ドンドン車を追い越しながら走っていました。
傍(はた)からみたら明らかに悪い運転です。
 
 
そして、次の日の帰り道。

同じく高速道路で、また
隣車線からいきなり前に入る車がいました。

しかし、友人の運転手がトイレに行きたいがために猛スピードになった経験があるあなたは、
『きっとトイレに行きたいのかもしれないね』

と暖かく見守ることが出来るわけです。
 
 
 
良い運転と悪い運転。

他人に被害をもたらす行為はもちろん危ないですが、

同じ現象でも、「受け止め方」というのは

それぞれの視点で
全くものになっているわけです。
 
 
 
 
 
また、これは人間関係でも同様です。。

大事な人に、何を考えてその行動に出ているのかを説明せず、誤解を招いたままにしておく、
という経験はありませんか?

これは、壮年の夫婦、特に夫によくあることだと思います。

例えば、夫がいつも帰りが遅く、なぜ帰りが遅いのかを説明しなかったり…
 
 
これは、妻を不安にさせる行為なので、
「良い」とは言えないものだと思います。
 
 
しかし、
「別視点の見方」を持つと、

夫にとっては、
仕事でトラブルがあり大変な時だが、
妻には心配かけさせたくないから、
何も説明していなかったのかもしれません。

相手のことを思いやった上で、強い意志の上でやったことなのです。
 
 
 
 
 
このように、
「絶対的に正義」
「絶対的に悪」
と思っていたとしても、

「別視点の見方」を持つと、
必ずしもそうではないことに気が付きます
 
 
そして、より大きな視点に立つと、
どちらかが譲歩してもそれは「負け」にはなりません。

「勝ち負け」という概念は消えます。

同時に
「良い悪い」という概念も消えます。
 
 
 
このような考え方を持つことが出来れば、
頭痛を治すというにおいても

「何」が「良い」「悪い」のか?

という発想もなくなるわけです。
 
 
マスコミや世間の情報に振り回される
ということもなくなります。
 
 
慣れないと、難しいですが、
是非、こういう考え方にもチャレンジしてはいかがでしょうか?
posted by かみん at 00:00 | Comment(0) | 治す〜最も大事なこと〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする